これは29日の。

この日に比々多神社を訪ねたので相模六社をクリア。
川勾神社だったか、相模の国の神社めぐりのパンフレットがあって、いつの間にか結構
たずねていることに気付きまして。

そのパンフによれば、昔も奈良・平安時代の国司は、赴任してくると相模の国の神社をたずねていたそうな。

で、この日は鶴巻温泉駅で下車した。
本当は陣屋ホテルとか見てみたかったんだが(王位戦だったし)、もう完全に夕方でそんな余裕がなかった。

まず歩いているといきなりなんかある。
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箕輪駅跡。
なんでもこの駅(馬置き)、奈良時代の古東海道の頃の場所だそうで。
足柄からこの駅をとおって国府津のあたりに行き、相模川方面というのが当時の国司のルートだったらしい。
さらに鎌倉以降の矢倉沢往還でもこのあたりをとおっていたそうな。
思わぬところで古道に出会う。
これが伊勢原方面のポテンシャルだと思います。

とにかく道ばたに地蔵とか祠とか道祖神とか多いんだ。

比々多神社へは比々多の交番の脇から入ります。
住宅街なのですが、和菓子のお店があってなんとなく昔の参道の名残?とか思います。

ただしばらく進むともう完全に田畑のど真ん中ですが。
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まあ、だけど気分はいいよね。

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こういう祠が好きです。

比々多神社の脇に入ってしまったが、そしたらちょうど三ノ宮・宮ノ前遺跡が。
神社の裏手の駐車場のあたりにあるんですが。
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これが縄文時代の頃で1万年前だそうで。
きましたよ。
こんな遺跡があるところに神社がある、これ。これですよねえ。
神社のあるところに古代の遺跡アリ、という。
やはりねえ、なんかあったんだと思いますよね。
神社が創建される頃とさらに昔の時代との接点が。
豪族の拠点とか墓とか、そういうところに建った神社って多いんじゃないのかなあ。

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比々多神社もなかなか趣のある良い神社でして。

創建は神武天皇の頃と伝わっています。マジですか!もう延喜式内社は神代の時代につながっているので
興奮してしまう。
延喜式は905年から編纂が始まった法典だそうで、その中に載っている神社が延喜式内社と呼ばれている。
だから延喜式に載っている時点で、その神社には1000年以上の歴史がある、と証明される。
相模の国には13社があり、私は5社たずねている。
大山の下社も含めれば6社だが、やはり上社に行かねばなるまい。
それはもう少し落ち着いてからだ。なにしろ登山コースだし。

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ここの狛犬はスタンダード。がおー。

そういえばここの神社、たぶん子供向けなんでしょうけど、リス?とか動物のちょっとキモイ感じの石像が結構あります。。。。。あれ夜には見たくない不気味さがあります。。。。

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夏越しの大祓いの茅輪くぐり。ちのわくぐり、でいいのかな。八の字みたいにくぐって、穢れを浄化する。
水無月にやる行事だそうで、6月、旧暦の5月の行事。そういえば足柄峠の明神社跡にもありましたね。
ただもう7月も終わりにもやっているのはよくわからぬが。
ただ、こういうのきちんとやっていると神社!って感じがする。

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ここは小さい鈴がいっぱい結ばれてる。
なんかこういうのも、でかい鈴、銅鑼、何もなしとか、違いがあって面白いですよねえ。

帰りの小川の橋のたもと。
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こういう元なにかの塔かやぐらがあった痕跡があるのが伊勢原って感じですわ。
もう由来も分からないけどねえ。

ほんと神社とかこういう小さい石碑もそうですが、由来書きをしておくべきだと思うんですよね。
どんな些細なことでも記録して残して、皆に分かるようにしておく。
そうしないとねえ、人は忘れて壊してしまうんだなあ。。。。

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ポストの脇の道祖神ともうひとつはよくわからん。

国道246号線をだらだらと歩く。
高部屋神社は遠い。
国道よりも脇の住宅街とか田畑の道を歩きたいのだが、うまく並行している道が無いみたいで。
ただ途中の八雲神社。
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ここは神社の裏手にいろいろ石塔が集まっていて、二十三夜塔を発見。
これは初めて見たなあ。
これも庚申塔とかと同じく御講なので、まあ道ばたの信仰と言えるだろう。
wikiとか読むと全国的にあるというのだが、私はこれが初めてだなあ。
ハッキリと読める塔が無いと気付かないっていうのもあるが。

そういえば伊勢原のあたりって豆腐だけでなく果樹園も多いんですよねえ。
全部閉まってたけど、直販所めぐりには楽しそう。

高部屋神社は糟屋という地域にあります。
昔、糟屋という地頭がいたそうで。その人も藤原鎌足の子孫だとか。
もう由緒ある神社の周りは伝説のレベルが高くて興奮する。
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なんとなく昔からの住人が多そうな場所にキレイに整備されてあります。
木も大きい。

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ただすぐ脇は新興住宅地になるのか、整地されてましたけどね。
だけどそれが逆になんだろう、スカッとしている感じで。
これはこれで好きかもしんない。

高部屋神社の像県は不明。ただ紀元前655年とも言われている、と由緒書きにある。
どっからでてきた紀元前!
しかしここも延喜式に載っているので1000年以上の歴史があるのは間違いない。

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ここの狛犬は狛犬じゃないのかなあ。
頭になんかある。。。

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なんだろうこれ。。。。
狛犬も奥が深い。。。。

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あと梵鐘ですね。

いや、私梵鐘ってお寺のもの、って思っていたんですが、相模地方の神社には普通に鐘ありますよねえ。
これまでも結構あって驚いてたんですけど。
もちろん梵鐘自体は仏教のものなんですが、日本では仏教も神道も融合してきた部分があるので、神社にもちらほらあるそうで。

まあだけど今までも神社の別当寺だなんだと書いてたりしてるわけで、神社とお寺はかなりつながりが深いんだよなあ。
梵鐘があっても廃仏毀釈あたりで鐘だけ神社に移したのか、とか勝手に思ってたんですが、そうではなく神社用の鐘なんですねえ。
そういえば実家近くの神社も寺のすぐ脇にあったしなあ。津波でやられたけど再建できてるんだろうか。

個人的には全然別モノとして神社と寺はいつも見ているんですが。
寺よりも神社好きです私は。

あと近くに太田道灌の墓があります。
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江戸城をつくった人として有名な武将ですが、
悲劇の人なんですよね。
有能だったせいで、主君に殺されてしまう。
一応首塚となっていますが、どうも根拠は無いみたいです。

ただ神社があって、上杉、後北条などの拠点、城や館もあったようなので、このあたりが昔は結構な重要拠点だったんでしょうねえ。
そして重要な拠点だとすれば、やはり交通の要衝であったろうし、交通の要衝というのは昔から交通があったから要衝になった、と考えるとやはりこのあたりは神代の時代の痕跡があるのかもしれない。
妄想は広がる。

ともかく今後は延喜式内相模十三社めぐりに移行するかなと。