朝食、そうめん

昼食、なし

夕食、イカ、タラ、メダイの素揚げ、レタスサラダ

1万2000歩

今日はだらりーんと海老名の国分寺跡へ。

01007_R
ひろーい
武蔵国分寺に次ぐ広さだという。
実はこれでもまだ収まっていないのだ。

隣の温故館(資料館)を見学してたら、職員の方が詳しく解説してくれました。
ほんとなんだろう、三殿台のときもそうだったが、無料の小さな資料館の方ってとても親切。

こんな立派な国分寺も何度も地震などで廃れ、やがて畑の下になってたんですよねえ。。。
朝廷のまあ相模の国の県庁みたいなもんでしょう。
それが荒廃していく、というのがねえ。。。

国分寺が荒廃していくと、周辺に住んでいた住民が跡地からいろいろ持ち去っていたらしいです。
昔のかまどから国分寺の瓦が出てきたらしい。
結構ね、なんというか世紀末的風景があったんですかねえ。

20人の僧がいて、おそらくたくさんの役人がいたはずの国分寺。
それが崩壊していく。
人が去るのか、送られてこなくなるのか。
中央の政権から連絡がこなくなったりして、忘れられるのか。
働いていた人たちとかどう思ってたんでしょうかねえ。
崩れた国分寺の前で、周りの集落の人が瓦礫でモノを漁って、しかし中央からは何の支援もこない。。。

今ならね、津波で海岸線の何十もの街が消滅しても救助がきますよ。
だけど、奈良、平安、鎌倉時代にね、救助はこないですよ。
少なくとも中央からはこない。
土地の権力者が何とかする、ってことはあるでしょうけど。
崩壊していく過程を想像すると、いろいろ切ないというか寒い。


近隣の寺社を見つつ。
国分尼寺跡へ。
01063_R
こちらは一瞬公園?空地?みたいなw
小さいですよねえ。

ここには庚申塔と、お庚申のお堂がありました。
いいですねえ。

だけどね、ここも結局荒廃した結果なわけで。
尼さんの寺ですから、さらに悲惨だと思うんですよ。
荒廃する過程を考えると。
どういう仕組みだったのか、役所として機能していたのか、とか分かりませんけども。
あの時代に兵力もなにも無い尼さんが集まって荒廃した寺や役所にいる、というのはね。
かなり残酷な結果が待っていたかもしれない。

たとえば周辺の寺社も荒廃して、頼朝なんかが再建しているわけですけど、
そのなかには紆余曲折があったにせよ、跡地に新しい寺社が立ったり、継いでいたりしているわけです。

だけど国分寺と国分尼寺は、巨大な規模であったのにほぼ根こそぎ消滅している。
まあ跡地自体はずっとあって江戸時代にも知られていたそうなんですが。

なぜ跡地を利用しよう、という動きになぜならなかったんだろう、と思うんですよね。。。。
だって立地はなかなか良いところなんですよ。
周辺に権力者がいれば再利用したいな、と思いそうな?

なんかね、古代の遺跡と寺社はとてもかかわりが強くて
古代の集落跡に寺社を建立したりなんていう例はかなりあるんですが、
だけどここはそうじゃない。

それは酷い、本当に酷い荒廃がそこにあったんではないかと。
壊れただけでなく、略奪や虐殺も含めて。
ちょっとその荒廃を知っている人には、利用する気が起きないような何かが。

ん?だけどそれなら遺体とか出てくるのかな。。。
ただ関東ローム層で酸性が強いって話なんですけどね、あのあたりの土。

国分寺とか国府とか、いやそもそも荒廃して消えていった寺社ってたくさんあるわけですけど、
その過程を想像するとね。。。。
遺跡を巡っていると考えてしまうんですよね。