朝食、おから入りハンバーグ、レタスサラダ

昼食、なし

夕食、塩コショウでホルモン炒め、レタスサラダ

1万8000歩
今日も午後から天気良くw
こうなると一気に稼げるんだよねえ。。。


前から見てみたかった庚申塔があって、鎌倉に行った。
日曜日の、しかも初夏の鎌倉ですよ。
もうこの世の終わりか、っつーくらい混雑してます。

こちらとしては庚申塔目当てなので、有名どころはどうでもいいですけどねえ。。。
だけど今日の目当ての庚申塔は、そんな有名どころの一角にありまして。
仕方ない。

神社に寄るたびに「お騒がせして申し訳ありません。ご迷惑をおかけします」って神様に祈ってましたw
私はご利益はそんな求めてないので。
むしろ私ごときのために神様のお手を煩わせるわけにはいかない、と。
そう思うわけでして。
なんて神様想いなんでしょうww

神様に願い事をたっぷり願うなんて、下賤な人間のすることですよw(ひでえ
貧乏人とかはさ、とにかく「くれくれ」言うでしょ。
神様に願うことはそれですよwww(刺されそうだ



。。。。というわけで御霊神社。アジサイが見ごろだとか、江ノ電が目の前を横切るとかですごい人。
庚申塔がたくさんあるんですけどね。
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この体たらくですよ。
誰も見向きもしない。
俺が写真撮っていてはじめて興味をもつくらいのものでね。
これだから下賤な人々は。
ああ、アジサイきれいだもんね。素敵だもんね。
だけどその足元にある庚申塔はさ、私たち庶民のご先祖が建てたものですよ。。。。

誰も見向きもしない。
でもいいんです。
所詮下賤な人間と、その下賤な人間の先祖がやってきたことなんですからwww(やばい黒い自分が出過ぎだw


見たかった庚申塔がありまして。
これなんですけどね。
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分かりますかねえ。
この面白さ。
もうホント「道ばたの信仰」でこの写真を見たときに、なんて楽しげなんだと。

アップします。
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そう、三猿が踊っているんですw
お囃子?なんでしょうね。扇子を持って踊ってます。
もうこれを見たときに、なんてユーモラスなんだと。

たぶん、この猿は着物を着てますよね、これ。
三猿だけど見ざる言わざる聞かざるじゃないっぽい。
楽しそうですよねえ。。。。

この感覚分かりますかね?www

マンガの犬夜叉に殺生丸の従者で「邪見」っていう小物の妖怪がいるんですけど、そいつを思い出しましたねwww

まあそういうところに楽しみを見出しているまだ若い変人ですので、下賤な人々に理解されなくてもいいです。はい。

ほんとここの庚申塔はいくらでも見たかったが、アジサイ園からの出口になっていて、ある程度楽しんで遠慮しました。

その後も路地裏とかに入ってポツポツ庚申塔を発見したり、神社やお墓に寄りましたけどね。
帰りに混雑を避けたかったんですが、そこで大仏の裏手の道に入りまして。
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これ大仏の裏ですよ。
信じられないほど人いない。
で、その後は一瞬通りに出たんですが、ほとんど裏路地のほうを歩きまして。

それで気付いたんですけどねえ。
鎌倉の住人たちって上手いなあ、と。

あんだけ観光客大勢じゃ住んでいる人の生活は破たんするだろう、などと思ってたんですが、
こういう裏路地に入ると住民の方たちばかりなんですね。
で、平凡な公園で、近所の人たちが集まってまったりと過ごしていたりする。
住宅街の路地で普通にボール遊びとかしている子供たちがいる。

大勢の観光客がいる通りとはまったく無縁の世界をつくっている。
喧騒すら聞こえない。
上手いなと。

というか、大通りのほうでは、観光客が自分たちと同じ観光客を見てイライラしたり、殺気立ったりしているわけですよ。観光客の波、そのせいで観光客が運転する車は進めずクラクションが鳴る。それを見てまた観光客が「や^−ねー」と言って、同じ観光客の悪口を言い始める。バカっぽい会話が溢れ、ただ有名だからというだけで見に来た観光客が「これなに!?これなんなの!?」と叫ぶ。



この落差にね、もう私は驚き、鎌倉市民の賢さに感動してしまった。
下賤なよそからきた人々は表の通りを行き来し、住民はそこは商売、観光業と割り切る。
だが少し路地裏に行けば、もうそこは平穏な、普通よりもリッチな住民たちのゆったりした休日が広がっているわけです。
(鎌倉の住民は高額納税者が多いんですよ)

もうこの落差。
この落差に俺は感動してしまった。

醜い観光客と、美しい凛とした住民。

もうこの対比が素敵だな、と。
観光と住むという2つの空間の住み分けを可能にしている。
それどころか、人としてのありよう、なぜ下賤な人々は下賤であるか、というのを何も意識することなく理解できる。


たとえばここ。成就院の前。極楽寺に行く坂。
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ねえ、誰も見向きもしないでしょ。
何に?
左にあるじゃないですか。
地蔵が。

たぶんね、だから何?って思うでしょう。
警備員がね「車道に出ないでください・歩道を歩いてください!」と叫ぶ。
それくらいものすごい人がこの道をとおっている。

その道の守り神がこの地蔵なんですよ。
大昔からこの地蔵がこの道を見守ってきた。
事故が無いのはこの地蔵のおかげだ、と、そんな風に人々は思ってきた。

だけどね。
だーーーーーーーれも見向きもしない。
地蔵なんぞには。

大量の人間が、ただ有名な観光地だからと成就院へ向かう。

その成就院へ向かう道を守り続けてきた地蔵様。
いまあなたが事故なく成就院へ行けたのは地蔵様のおかげかもしれませんよ。。。。などということは一切誰も考えない。警備員のおかげです。はい。

いやたぶん今日ここに訪れた人のどれだけが、ここで警備員の方が頑張っていたか覚えているだろうか。
そしてその警備員の向かいにあった6体の地蔵のことをどれだけ覚えているだろうか。。。。。

これもどうだろう。
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甘縄神明社。
大仏の近くにあるこの社が、その大仏より古く、それどころか鎌倉時代より前から存在していたことに、気付いているのか。知っているのか。これこそ貴重な社ではないのか。見るべき価値があるのではないのか。

今日何人の観光客がここに訪れたであろうか。
たしかに何人かはいた。
ああ、たしかに見たところで大して素敵でも豪華でもきれいでもない。

だが源頼朝が、北条政子がこの社にお参りにきたのだ、今歩いている道を歩いてきたのかもしれないのだ!
そう思えば感動するんじゃないのか。
感慨深く思うのではないのか。

うん、分かっている。
感動する人間なんてほとんどいない。


私は怒っている。
ものすごく怒っている。

信仰心が無くてもいいと思う。私にも無い。
歴史を知らないこともあるだろう。私だってたいして知らん。

だがバカだ。

これには耐えられない。
勉強の出来・不出来ではない。

ツイッターでぐちって殺されかけているエリート官僚のツイートは「知性が無い」だったか。

なるほど。

だが、そうでもない。

所作だ。

バカというのは所作がものすごく不細工なのだ。
だから見ていて醜く、知性のかけらも感じないのだ。

鎌倉の住民は所作を知っている、人が多い。

もっとも目の前にある小さな神社を草木に埋め、掃除もしない住民もたくさんいるが。

いずれ、鎌倉には有名どころの寺社しか残らないのかもしれない。
本来であれば地元の氏子が守っていたような神社は、誰も守らず朽ちていくだけなのかもしれない。
たぶん、そんな時代がきたときに鎌倉の住民からも所作は失われ、不細工なバカの街になるのだろう。

そんな日が遠くであってほしいと思う。
なんといっても鎌倉は素敵な街だから。

だが、たぶん1000年に1度の地震が早晩やってきて、そんな願いも失われるのだろう。
大変悲しい話だ。

鎌倉幕府が開かれたのは1192年か。もっと前になったんだっけか。

東日本大震災級の貞観地震が起きたのは869年。
東南海級の巨大地震が起きたのは684年〜1096年に3度。
鎌倉大地震が起きたのが1293年。
鎌倉の大仏が流された大地震は1498年。

貞観は再び起きた。
では次は?

私たちは見に行かなければならない。
観光に行かなければならない。
所作が醜かろうが、バカで不細工だろうが。
いや、だからこそ見に行かなければならない。

失われる前の姿を、灰燼に帰す前の姿を、見て、覚えて、記憶し、そして記録もしておかなければならない。

失われるときは根こそぎだ。
町が消える。
この美しい街も。歴史の遺産であふれる街も。
津波に飲まれ、山が崩れ、瓦礫ばかりになり、遺体が積み重なるだろう。

嫌だと言っても、目を背けても、どうしようも無いのだ。
地震はまた起きるのだから。
どうしようもない。

いや、できることはあった。
大仏まで大量の津波がくるんだから。
なぜあんなに家をつくってしまったの、と。
観光客があんなにくる道をつくってしまったの、と。

反省し、対策をすることはできただろう。
だが、もう無理だ。
行政に、人間にできることは、ただ「地震よこないで」と、祈るだけだ。

だがその願いはかなわない。
絶対に地震はくるのだ。

あの海岸線から密集している家々をなぎ倒し、避難場所も分からない観光客を飲み込み、あるいは人が多過ぎて逃げられない人々を飲み込み、阿鼻叫喚のなか、津波は大仏まで達しよう。

小さな川は津波を導き、川沿いにある江ノ電の駅舎を飲み込み、その周りの人々を飲み込もう。

もうこれは避けられない出来事だ。

私たちにできることは見ておくことだけだ。
生き残れるかどうかは神のみぞ知る。。。。。

そうか、ここでやっと神さまへの願いが出てくるのか。
地震を防ぐことができないのなら、せめて生き残らせてくれよ、と。

なるほど。

だが、そんな願いをしたたくさんの人を津波は飲み込むのだろう。

今度神社にいくときは、ここに書いたことが外れるよう願ってこようと思う。
だが大地震と大津波はまた起きるのだろう。
失われることが分かっているというのは大変残念なことだ。